駒澤零と記憶の記録

すきな音楽を紹介したり、日々の記録

フェイク・ワールド・ワンダーランド

タイトルはお察しの通りきのこ帝国だよ。


最近、ちょっとだけ区切りをつけました。

アーバンギャルドサブカルチャーにさよならしたように、少女は大人になっていく。


とか言ったら美しいんだろうけど。

要はお葬式だよ。私は私自身を葬らねばならんのです。家族含め、他人のために生きるの、やめます!っていう。

別に誰かを傷つけたいわけではなくて。

何事も諦めはしない。ただ試して、自分に合うかどうか考えてみて、合うならばそのまま、違和感があるならちょっと進むのをやめてみる。そんな感じ。

やらない後悔ほど人生無駄にしてることはないからね。でもついつい楽な方に逃げちゃうから良くないな。がんばります。


今は充電期間ってだけ。21歳。色々試せたらいいなぁ。

就職と好きなバンドと音楽と

3月13日。初めてスーツで好きなバンドのライヴに行った。

ESに追われながら夕食を食べていたせいで、サーキットなのに他は何も観れなかった。

ライヴは普段と比べるとまあまあくらいだった。新曲は最高に良かったけど。

ベースメントの階段でお酒を飲んでいたらボーカルに「就活?」と声をかけられて、意味もなく泣きそうになってしまった。このチルな場所にこんな最低な格好で立っていることが、なんか物凄く恥ずかしいことのように思えたんだ。

別に就活を否定するつもりはないけど、やっぱり擲つくらいの人じゃないと何も為せないと思う。下げられる頭があるうちは何にもなれないさ。

それは美学ではない。選ばれしものの差だ。今や賢い兼業バンドマンもいっぱいいるけど、少なくともブレインがそんなことやってるのは狂ってるって思う。だからそういう人たちは売れないんだよ。やめてしまえばいいのに。

 

というのはちょっと言い過ぎです。兼業勢で好きなバンドいっぱいあります。でもカリスマ性を帯びたバンドにはそうであってほしい。まあそれができるのって若いうちだけなんだけど。そんな捨て身なところも好きなんですよ。

この日は確か好きな子から心配のメールが来たのだった。小さく喜びながら、スーツを畳んで返信を打ったっけな。そう、2月の最終週から暫く、私は体調を崩した。明らかに精神的不調だった。家に籠り続けたら、体調はあっという間に回復した。とはいえ感染症の疑いだとかで、しばらく出れなかったけど。

 

家は素敵な場所だった。ギター弾くしかやることがない。本もある。眠るのに飽きて映画を見たりした。熱が上がって怒られた。

ただ3月になってからは散々なものだった。就活解禁にやたら焦らされ、必死にエントリーするもお祈りや締切日見過ごしの連続。ギャグだと思ってたら親に説教された。

いいじゃん。死ぬよりマシじゃないですか。何のために私が奄美まで逃げたと思っているんだろう。重油拾いに行きたいとか、大好きな絵描きさんが行ってたからとか、一人旅がしたかったとか、全部理由としては正しいけど、それだけじゃないんだよ。息が苦しかったんだよ。本当にお金がないと生きていけないのか試したかった。一人になりたかった。結果としてはあんまり貧乏生活できなかったけど。

 

そんなこんなで完全に消耗し、燃えカスみたいだったのですが、月末の好きなバンド2daysが最高過ぎてめちゃくちゃ生きてます。あんなに頭振ったのいつぶりだろう。気づいたら両手の拳を振り上げてた。もう絶対売れるよ。Koochewsen。

ちょっと寂しいような気はするけど、確信してしまった。今もまだ震えが止まらない。生きていく活力を沢山くれる。本当に魔法みたいだね。優しい音楽の力。このことについては、いずれどこかで書こうと思う。それでは。

名前のこととか

そういえば暫く更新もしていませんでしたね。

 

改めまして、駒澤 零(こまさわ れん)です。フェスボルタランドの出演も終わったので、名前を完全に苗字付きに変更させていただきました。創作活動を始めた中学二年生の頃、「何もないからっぽの私は、きっと空虚な存在だ」と思って自虐的に名乗り始めた”零-0”という名前ですが、思えばもう8年。長い付き合いですね。”れんれん”という読み方はPEACH-PIT先生の漫画『DearS』から拝借したものです。人と被らなくてお気に入り。

苗字については時折聞かれるのですが、特に意味はないです。高校の頃、親友と「HNに苗字をつけるか否か」という話題で盛り上がった時にノリでつけたのが最初だったと思います。画数は多いけど語感が良くて好きです。

 

ということで、これからは基本的にこの名前で活動していこうかと思います。就職が決まるまではイベント出演のみできないのですが、その後は個展などできたらと画策しております。もし良ければ楽しみにしていてくださるとうれしいです。イラストやデザイン、執筆のお仕事は随時募集しておりますので、なにかございましたらお気軽にどうぞ。

 

そして、早速宣伝みたいになってしまい恐縮なのですが、2018年早々色々やらせていただきましたのでご報告をば。

まずイラストレーターとしての活動です。

「売れる前から、知ってたし」というバンド紹介アカウントがあるんですが、そこで作っている匿名コンピのジャケットとデザインを担当させていただきました。コンピのくせにアーティスト非公表とか本当ふざけてて面白そうだったので…。無駄に愛のある絵を描いたので見てくださいね。絵のテーマは「キャパ100のハコとかでやってた頃からずっと追っかけている好きなバンドの新譜を買いに来たらまさかのCDショップの一番目立つ場所に展開されてて有頂天」です。女の子の好きな音楽にはめちゃくちゃ細かい設定があるのですがそれはまたいずれ。

正直、無料頒布してる知らないバンドばっかのコンピ手に取るのと、完璧に中身が伏せられたの手に取るのってほぼ一緒だよね。ワクワク感を持ち帰っている感じというか。

コンピはタワレコ渋谷やディスクユニオン御茶ノ水店などで無料頒布中です。通販は以下から。タダなので軽率に手に入れてください。あんま言えないけど、個人的に好きなアーティストも参加してるよ!あと結構気合入れて絵描いたから紙媒体で見て!

urerumaekara.com

 

そしてまだ言えないのですが、他にもいくつか嬉しい報告ができそうなものがありますので、楽しみにしていてください!

 

次に執筆です。どちらも本名での掲載ですが、2本ほど記事を書かせていただきました。

ototoy.jp

僭越ながら、大好きなバンド・Koochewsenのレビュー記事を書きました。かれこれ知ってから1年半くらい経ちますが、こうして関わらせていただけるのが未だに嘘みたいな、本当に凄い人たちだと思ってます。いつか機会があればインタビューしてみたい。

 

もう一つはこちら。

showoff.jp

1/31日発行の高円寺のタウンマガジン『SHOW-OFF』にて、連載”高円寺のロン毛”のインタビュー&執筆を担当させていただきました。もともとゆら帝や曽我部さんが載っていた関係でたまに読んでいたフリーペーパーで、今コーナーも好きな連載の一つだったのですが、縁あってやらせていただきました。配布店舗、詳細などはこちらからどうぞ。

 

どれも、もし良ければ見ていただけると嬉しいです!普通に喜びます!

ではでは、これからも駒澤零をよろしくお願いいたします。

新年ですね

2017年は凄い年でした。

あんなに嫌がっていたのに20歳になってしまった私は、結局自殺も未遂に終わらせ、人見知りもあっさりと克服してしまった(まだ完全じゃないけど)。

たまたま好きになったバンドがきっかけで、こんなに色々変わるとは思わなかった。

何度も書いているけれど、私は昨年10月に家族と喧嘩して以来、本気で自殺を考えていた。でも許せないくらい苛立つ人がいて、その人に勝てるまでは頑張ろうと執念で生きていた。ただ、その夢はあっけなく叶ってしまう。年頭の1月に。

完全に燃え尽きた私は、縋るようにあるバンドに熱中した。「彼らのためなら私の全人生という対価を払ってもいい、むしろその為なら生きていける」本気でそんなことを考えていた。私の価値がなくなったら自殺しよう。そう考えたら、苦手なことでも何でもできる気がした。躁状態を上手く使って、思いついたことをひたすら実行に移した。そこに私の感情なんていらなかった。

 

それから、沢山の夢が叶った。夢って叶うんだ、と人生で初めて思った。

1月には「ゼミで一番になる」という夢を。2月にはバイトを始めた。最初に受けた接客業は落ちたが、その後の勤め先は最高に楽しい職場だった。いつも通り一生懸命生きてるだけで、お金がもらえることに感動した。この頃からAさんという人に非常に憧れを抱くようになった。あの人になりたい、その為ならどんな代償でも払える。本気の本気でそう思った。

3月には密かな野望を叶えるためにダメもとである会社のインターンに応募して、本当に受かって。しかし内心は怯えていた。コンプレックスと闘う毎日だった。

4月は招待も含め、沢山ライブに行った。新しい場所に行くことや、人に会うことが楽しかった。毎日が発見の連続だった。

5月には絵を描くのが楽しくなってきた。それまでは評価や需要を意識して描いていたが、いったん全て忘れ、描きたいものを描くことにしたのだ。同じころ、Aさんの裏の顔を知った。本当は凄く深い闇を持っていて、でもだからこそ美しいものがそこにあるのだと思った。何日か泣いて、でも好きな人がくれた言葉があったから耐えられた。その間も私は毎日のように大量の音楽を聴き、仕事をし、ライブに足を運んだ。

6月には大好きなバンドのCDが出た。会社の人の厚意で、レビューを書かせてもらうことになった。夢のような気分だった。「大好きなバンドと仕事をしたい」という夢が、曲がりなりにも叶った気がした。

あっという間に7月。少しずつ対人恐怖症も改善し、会話の際にアドリブが出てくるようになった。1月は怖くてうまく話せなかったスピーチも、少しずつマシになり始めた。鬱は確実に酷くなっていたが、大好きな曲を聴いていれば幾分か紛れた。

8月にはフェスボルタに出た。あるアイドルが大好きで、出演者の側に行ったら何か見え方が変わる気がしたなんて、邪な理由が一番だった。でも出てみたら予想以上に面白いことばかりで、興奮した。同じ絵というフィールドでも、同人活動と全然違っていた。それからこの月は、大好きな人に誕生日を祝ってもらった。あまりに嬉しくて、数日浮かれた。夏休み生まれの私は幼少期から誕生日を忘れられることが多く、「誕生日を祝ってくれる」という行為には一種の仲間意識のようなものがあったのだ。たとえ自分から言ったとしても。

9月は、いよいよ当初の野望を現実にしようと奔走した。結果として望んだ通りには行かなかったけれど、今できる最善の結果に落ち着いた。無力感を少しも感じなかったと言えば嘘になるけど、でも良いこともたくさんあったから頑張れた。

10月は忙しかった。コンピを作るために毎日必死だった。何としてもやり遂げたかった。私が言い出したことだったし、何より私は「Groovy」という映画のファンだったのだ。あの美しい音楽が世に出ないなんて間違っている。勿論好きな作品は沢山あるが、コンピに至った一番の理由はそれ。とにかく必死だった。

11月は借りを返しきろうとしていた気がする。好きな人のことは好きだったが、依存する自分は嫌いだった。沢山の言葉と行動に救われた分だけ、沢山のお返しをした。勿論そんなことだけで返しきれるとは思っていないけど、でも好きな人の嬉しそうな顔を見ていたら、上半期に生きる気力を貰った借りは返せた気がした。

12月は少し辛かったかもしれない。記事もリリースし、良いことは本当に沢山あったけれど、泣きそうになるほど辛いことが一つだけあった。それはここでは書けないけど。でも、誰も責めることはできないし、責めるような話でもないし、ただ一人で呑み込むのが辛かった。全てから逃げるようにベースを始めた。結局、傷を癒すのに半月かかった。涙も出なかった。

 

人を意識し続けてきた20年間だったけれど。

2017年。最終的に、私は誰かのために生きなくても良くなった。

誰が何と言おうと私は私だし、変えられない事実だ。

どんなに寂しいときがあっても、この世界に百パーセント私を理解できる人なんて絶対に存在しない。悲しいけど人は孤独だ。

 

生きていたいから生きます。遺したいからやりたいことをやります。それでいいじゃないか。

批判もあるかもしれない。傷つくこともあるかもしれない。でもそれはやってもやらなくてもあるんだよ!!!生きてれば必ず軋轢は生まれる!!!それに惑わされるな!

圧倒的マイノリティである刺々しい言葉に惑わされて何もできなくなるなんて馬鹿みたいじゃないですか。そう思うんだよね。2018もやりたいことやります。とりあえず映画が好きなので映画に関わりたい。いつか撮ってみたい。あとアニメが作りたいです…

Prophecy

詩的な表現ばかり使いたくなるのは私の心が詩であふれているからだと思う。

 

先日の仕事で、それはそれは批判を食らいそうな原稿を寄せた。

でも中途半端にジャーナリズムを学んできてしまった私としては、この哲学的で少し社会的な音楽に添える言葉はまず間違いなくこんなテーマだろう、と思わざるを得なかった。だからこれは私の責任で、私が世に送り出すべき言葉だ。そう思った。

私の原稿は私という個人の独自性を重んじて書くべきだと思っている。だからこそ個人的な事実にも触れるし、体験と思想を織り交ぜて書く。嫌がる人もいるだろう。でもそういう原稿が欲しいならもっとその道のプロフェッショナルみたいな大先生に頼めばいいと思う。知識も経験も未熟な私にできるのは、私という現在(いま)を切り取ることだけだ。

死について扱ったのは多分親戚のお通夜の日に原稿を書いたことが大きいと思う。それと先日見た映画『禅と骨』。突然スクリーンに映し出されたヘンリの死は衝撃だった。それを描く監督の選択に少し驚いた。

お焼香のあとにちらと覗いた大叔父は安らかに眠っているように見えた。親類といえど、私は殆ど彼のことを知らない。まるで蝋人形のようだ、と不謹慎にも思った。肌の表面が妙になめらかで、魂が抜けたようだ。

祖母たちは皆怖がってお顔を見ようとしなかった。そんなものなんだろうか。妙に整然とした葬儀場の空気は、清潔すぎて死の匂いを感じさせない。守られてしまっていると思った。それがいいことか悪いことかはわからないけれど。

 

別に炎上しなくたって、人は結構他人の発言を読んでいる。発信するものは、それをしかと肝に銘じて生きねばならない。そこには覚悟が付きまとうんだ。

北千住からの帰り道、そんなことをずっと考えていた。

最果てまで届く歌

オワリカラが田無神社でライヴをするらしい。

そう聞いたのは今日の昼すぎだった。

 

今日、15日は久々の休日だった。

授業もないし、〆切もない。遊びに行く予定もない。

外に出なくてもいいことが嬉しくて、朝から嬉々として仕事のメールを打っていた。

本を読んでも、絵を描いても、時間がある。それが嬉しかった。

そんな矢先、知ってしまった。

 

たぶん、普通のライヴハウスだったら行かなかっただろう。

田無神社は私が小学生の頃、毎週のように通った神社である。

信心深い母と一緒に、幼い私はよくその境内に足を踏み入れたものだった。

 

久々に訪れた神社の中は多くの人でごった返していて、所狭しと屋台が立ち並んでいた。懐かしい場所のはずなのに、明るすぎてすこし眩しかった。待ち合わせした風の高校生たち、やたら盛り上がる小学生の男子。端で微笑むカップルを横目に、今回の会場である舞台の下へ向かう。勿論手水と御参りを済ませてからね。

 

不思議な時間だった。

一言で言うとそんな感じに尽きる。

個人的には音出しの「ドアたち」のワンコーラスで既に胸がいっぱいになっていたんだけど、「サイハテソング」を聴いた時、ついに時が止まった。

綺麗だった。ただひたすらに。

 

 

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そう思ったのは、初めて彼らを目当てで赴いたライヴだったからかもしれない。

もともと私はそんなにオワリカラが好きではなかった。ボーカルが少し鼻について苦手だったのと、スルメ曲が多くて余り良さがわからなかった。それが一変したのは、中古のレコード屋でなんとなくヒョウリさんのソロCDを購入したのがきっかけだ。ちょうど売り専ボーイズのライブのひと月ほど前で、予習を兼ねて購入したつもりだった。クウチュウ戦の小林リヨ氏がギターで一曲参加していることを知るのは、また後の話である。

ソロCDは、凄まじかった。鼻についたはずの歌声は次第に癖になり、「shortfilm」「8月のブルー」「しずく」の3曲はなかでも飛びぬけていい曲だった。タカハシヒョウリって天才かもしれない。今まで気づかなくってごめんなさい…とこの時思った。

 

とはいったものの、やっぱりソロほどバンドは好きではなくて。ロールシャッハをリピートし始めてから次第に楽しくなってきたし、すごい踊れるんだけど、なんか鼻につくな、、と妙な反感を抱いていた。

でも少し前、ふと「ドアたち」をYouTubeで耳にしたとき、カメダさんの奏でる特徴的なシンセの音が頭から離れなくなった。ライヴで聴いた記憶はないけど、すごく純粋に、いい歌だと思った。それから新曲「ラブリー」を再生した。ラスサビ前のKeyの音がめちゃくちゃいい。「Q&A」を聴いた。えっ待って、このバンドめちゃくちゃ良くない!?

聴き始めて8か月目、ライヴに行ったのは4回。私はようやく初めて、本気で彼らの音楽が好きになった。だからこそ今日は本気で心を打たれたんだと思う。

"どうせ何も持たず死ぬのだ そっと前に飛べ"

黄色いライトに照らされて火照る頬のヒョウリさんを見ていた。踊る観衆の中、ただ一人だけぼうっと立ち尽くして。あの空間、なぜか少しスローに見える人々。世界が音楽だった。まっすぐな歌だ。とても素敵だと思った。その時ばかりは、よくよく知っているはずの景色がどこか別の次元に飛ばされてしまったように、そう思えたんだ。

 

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ライヴが終わったら、アンコールもなしにメンバーたちはそそくさと舞台を降り、淡々とスタッフさんが物販をはじめた。あんなに沢山集まっていた人々は幻だったかのように霧散し、残っているのは10数名だった。その人々も一人一人と消え、人混みがあったと思っても若い子供たち。

 

ものの数分の間に、境内はただの郊外の神社へと戻っていた。

まるで音楽も熱狂も何も、なかったかのように。

 

何というか、無性にそれが寂しかった。もう少し感傷に浸りたいと思ったけど、同時に、ちょっと神隠しみたいだ、なんて思った。きっと今夜は特別だったのだ。普段ライヴハウスでしか見たことのない彼らが、私にとって所縁しかない神社で、幼い私も立ったその舞台に立って大好きな曲を鳴らしているなんて。そんな事実の方がよっぽど白昼夢みたいじゃないか。

屋台のお姉さんにおまけしてもらったスモモ飴を手一杯に抱えながら、そんなことを考えてとぼとぼ帰路についたのでした。

季節が僕を連れ去ったあとに

この9月、私は池袋演劇祭の審査員をしていた。

池袋演劇祭というのは、今年で29年目になる小劇場中心の演劇の祭典らしい。

「らしい」というのも、私も今年初めてその存在を知ったからである。

運よく3倍の選考を抜けた私は、そんなこんなで月7本ほどお芝居を観る機会に恵まれた。今日はその最後の舞台を観てきたところ。

 

池袋に通ったのは中高の濃密な六年間だけだった。たかが6年、されど6年。その間に歩きつくしたせいで、いつの間にか随分と馴染みのある街に思える。

母校と、散々通ったタワレコと、中古のCDショップ。

MUSICAを立ち読みしていたLIBROはもうなくなってしまった。

ぼんやりと見降ろした高架と、辻斬りで有名な神社。治安の悪い北のほう。

十分すぎるくらいに散歩したのにまだ、知らない場所がある。

 

ハイカラな街に遊びに行きなよ、とある人が言った。

憧れに目が眩みそうになりながら、私は軽くうなずいたけど、やっぱり私は池袋が捨てきれない。確かに渋谷や下北には、どこか緊張感がある。日常に溶け込む美意識に、感性が刺戟されると感じることもしばしば。

でもこのダサさも居心地がいいんだよなあ。

大好きだった北欧雑貨の店も潰れたし、交差点のど真ん中に廃墟があるような街だけど、文芸坐世界堂も他の街のものよりいちばん落ち着く。時間の流れが、飾り立てない私でいることを許容してくれるのだ。もちろんそれがいいか悪いかは、別の問題である。

 

寺山修司山田太一は、どんな時間を生きていたのであろうか。

青春の一ページ。私とほぼ同じ年齢のときに、何を思考して、何を志向していたのかな。

そんなことを考えた。駆け抜けてきた日々が途端に陳腐なものに思えた。

「さよならだけが人生だ」という寺山を"強がって"と微笑む田中未知に、孤独なのは何もわたしだけではない、と少し安堵したりもした。

全然知らない劇場に行って、私の知らない誰かを追体験して、そうしてもう一度私になる。それができるのがお芝居。演じればまた鏡。

音楽と絵ばかり追いかけてきたけど、ちょっとだけまたお芝居がしたくなりました。