駒澤零と記憶の記録

すきな音楽を紹介したり、日々の記録

音信不通の夢の中で

おはようございます。朝です。バイトの夢を見た。

 

今の職場で働き始めてはや1ヵ月。憧れのひとが飲食でバイトしてるとかそんな理由ではないけれど、人の気持ちがわかるようになりたくて始めた喫茶店。少しハードです。

でもお客さんとお話しするのは好きなのです。

 

夢の中、ずっと雨が降っていた。

そういえば昨日帰った時も雨上がりだった。

何に苦しんでかここ数日は涙脆く、絵描く時間もないまま毎日を過ごしていたのですが。

昨日は就活の予定を棒に振って、おうちでギターの弦を張り替えていた。たくさん歌って、こないだ作った曲のBメロを考えながら、ぼうっとしていた。

それからha|za|maのファッションショーを観に行って、知り合いとご飯に行った。久々に会ったらなんかすごい落ち着いた。何もないけど幸せだ。ずっと泣きはらしてたのが嘘みたい。

 

作り手は作り手の気持ちしかわからない。

刺激も同調も必要。乖離しすぎはお互いを苦しめる。

れんは不器用なので超人みたいにはなれませんが、できる範囲で頑張りたいと思います。ステレオタイプもラクな生き方もあるけれど、やりたいことがやれないとダメなタイプの人だとは思うので。では。

今日のいいこと

これから毎日、いいことを数えようと思う。

いいことを考えた方が生きるのはきっと楽だ。

 

息苦しさに慣れすぎてしまった僕らは、傷ついてもすぐに涙を流せない。三大欲求がなければ、きっとサラリと人生を生きれるんだと思うの。恋も性欲も食欲も、生産的に生きる為には多分無駄なことだ。

でも、捨て去ることは出来ない。振り回されるのが人間です。

だからそれらを受け入れて、生きるしかない。

 

今日のいいことはなぁに?

自覚はなかったけど、何日か前の私が酷く苛立っていたことを知った。申し訳ないことをしたと反省した。でも今度はちゃんと、向き合うことができた。今度会ったら謝ろう。

初めて自分で作ったパスタソースが美味しかった。思いのほか上手に出来て感動した。

この頃〆切を逃すことが多かったけど、それでも頑張って出した書類の合格通知が沢山来た。

無くしたと思ってた祖母の傘が見つかった。

とても素敵なテキサスのインストゥルメンタル・バンドを見つけた。

知り合いが、とても好きなミニマルバンドのコピバンやろうよ、って誘ってくれた。出来るか不安だけど。でも頑張る。

お母さんが朝ご飯を作ってくれた。

必要な出費がタイムセールで、半額で済んだ。

ネットサーフィンをしていたら、素敵なコスメを見つけた。

ベースアンプ壊れたかと思ったら壊れてなかった。

 

10個も見つかった。

だから大丈夫、明日も、いい夢を。

恋で地球は救えないけど

‪しばらくぶりに電影と少年CQを見てきた。‬
‪いつぶりだろう。SNSは頻繁にチェックしていた。‬


‪以前よりキレが増したダンスに、淡々と紡がれる歌。‬
‪ただじっと見惚れていた。まだ完璧な存在だとは思わないけど、でもやっぱり心惹かれる。それはアイドル=偶像が纏う未完成な魅力ではなくて、(こういう定義に関しては香月孝史の本が詳しいが)二人の存在そのものが凄く特別で、心の奥の何かを掻き立てるからだと思う。‬

 

ステージの上の2人には、いつも触れたくない。‬
‪美しい指先に触れるほどの距離になったら、私の心は溶けかけたアイスクリームみたいに、一気に冷え切ってしまう気がして、怖いのだ。‬
‪だってそれは凄く崇高で、美しいものだから。‬
‪今日の会場は舞台との距離がすごく近かった。だからこそ、私は座って観たかった。まるで映画のように一定の距離を保って、視線が絶対に交わらないように観たい。そうして眺めたステージは、初めての時と同じくらい興奮した。距離はあるのに、心だけがすうっと吸い寄せられるようだった。‬
‪アイドルとかライブビジネスって近接性が魅力なのかもしれないけど、電少のステージに観客が介在するのはナンセンスだと思う。観客はあくまでも枠の外。我々は綺麗に彩られた箱の外から、小さな芝居を見ているに過ぎないのだ。‬
‪これは映画だ、箱の中の人形劇。当然二人は実在すると知ってたけど、なんか、ステージの上では全部が全部フィクションだったなと思ってしまった。‬

ユッキュンは時々、凄く精巧に作られた人形のような表情を見せる。そんなことに今更気がついた。空を仰ぎ見るような横顔のライン、綺麗に切り揃えられたマッシュカット。大好きなBluefairyのドールを思い出した。変な言い方だけど、普通に話すと彼は不思議だけどいいお兄さんって感じで、良い意味で人間くさい。でも電少の時にふと見せる一瞬に目が醒めるような小さい興奮を覚えた。わたしがたぶん、人間離れした魅力に心惹かれるタイプだからかもしれないけど。‬

ルアンちゃんーー私が知る限りこの世で一番きれいな女の子ーーは、何故かいつも違った風に見える。今日も全然違う風に見えた。どれをみてもルアンちゃんだけど、まるで並行世界の同じ女の子みたい。‬

初めて見たときは、この世に舞い降りた天使なんじゃないかって思った。真っ白な衣装、くりんとした目、陶器みたいに白い肌に長めのボブカット。彼女がステージ中央の椅子に座って本を広げたとき、私は夢を見てるんじゃないかと思った。この世のものと思えないくらい可憐で、綺麗だったのだ。‬

それから私は何度か、電少のライブに足を運んだ。アイドル現場の空気にあまり慣れなくて、回数はそんなに多くなかったけど、季節が巡り観るたびに、ルアンちゃんは違う顔を見せてくれた。髪が伸びたことで少し大人びて見えたり、たまに見せる笑顔が愛らしかったり。女の子にこんなに心惹かれるのは初めてだった。憧れとも、羨望とも、親愛とも、恋とも違う感情。なんだろう、やっぱり好きって言葉でいいのかな。

 

昨日は歌が多かったから、もっと所謂アイドル的なステージになってもおかしくないのに、やっぱりそうはならなかった。名付けるなら“ショウ”。それは笑顔も接触も不要だからだと思う。性的魅力とは違う、ある種潔癖な美しさがエッセンスとして織り込まれてる存在。非現実にどっぷり浸かって、私は堪らなく幸せを感じた。‬

そういえば、ルアンちゃんが昔いたユニットの話を横にいたファンの方から聞いた。検索して出てきた幾つかの写真に、小さく笑みが零れた。私の中で電影と少年CQは磨きかけの宝石みたいな存在で、長田さんが奇跡みたいな確率で、きらきら光る原石をそっと見つけ出してきたんだと勝手に思っていた。特にルアンちゃんは本当にどこをどう探したらこんな理想を押し固めたような素敵な女の子が居るのだ、と。だから、それは少し驚いたんだけど。

 

今度観に行った時はさらに違う景色が見えるだろうか。楽しみ。

フェイク・ワールド・ワンダーランド

タイトルはお察しの通りきのこ帝国だよ。


最近、ちょっとだけ区切りをつけました。

アーバンギャルドサブカルチャーにさよならしたように、少女は大人になっていく。


とか言ったら美しいんだろうけど。

要はお葬式だよ。私は私自身を葬らねばならんのです。家族含め、他人のために生きるの、やめます!っていう。

別に誰かを傷つけたいわけではなくて。

何事も諦めはしない。ただ試して、自分に合うかどうか考えてみて、合うならばそのまま、違和感があるならちょっと進むのをやめてみる。そんな感じ。

やらない後悔ほど人生無駄にしてることはないからね。でもついつい楽な方に逃げちゃうから良くないな。がんばります。


今は充電期間ってだけ。21歳。色々試せたらいいなぁ。

就職と好きなバンドと音楽と

3月13日。初めてスーツで好きなバンドのライヴに行った。ESに追われながら夕食を食べていたせいで、サーキットなのに他は何も観れなかった。

この日のライヴは普段と比べると普通位だった。新曲は最高に良かったけど。ベースメントの階段でお酒を飲んでいたらボーカルに「就活?」と声をかけられて、意味もなく泣きそうになってしまった。このチルな場所にこんな最低な格好で立っていることが、なんか物凄く恥ずかしいことのように思えたんだ。

別に就活を否定するつもりはないけど、やっぱり仕事を擲つくらいの人じゃないと何も為せないと思う。下げられる頭があるうちは何にもなれないさ。

それは、多分私がそうであって欲しいのだろう。今や賢いやり手のクリエイターもいっぱいいるけど、そういうとこだけは古臭い美学に囚われてるのかもしれない。

特にカリスマ性を帯びたバンドにはそうであってほしい。まあそれができるのって若いうちだけなんだけど…。自分自身が一番臆病なくせに、無責任にもそんなことを思った。

私が一人娘じゃなかったら、帰る家も繋がりもなかったら、とっくに捨て身で生きてるのに。

それは一種の憧れかもしれなかった。

 

そういえば、この日は確か何人かから心配のメールが来たのだった。2月の最終週から暫く、私は立て続けに体調を崩した。多分精神的不調だと思う。全身に蕁麻疹が出たので医者に行ったら、感染症の疑いだとかで外禁になった。でも家に籠り続けたら、体調はあっという間に回復した。結局血液検査の結果も、有耶無耶なままに終わった。自虐して絵を描いたけど、誰も嘲笑ってくれなくてちょっと泣いた。

 

家は素敵な場所だった。ギター弾くしかやることがない。本もある。眠るのに飽きて映画を見たりした。熱が上がって怒られた。

ただ3月になってからは散々なものだった。就活解禁にやたら焦らされ、必死にエントリーするもお祈りや締切日見過ごしの連続。ギャグだと思ってたら親に説教された。

いいじゃん。死ぬよりマシじゃないですか。何のために私が奄美まで逃げたと思っているんだろう。重油拾いに行きたいとか、大好きな絵描きさんが行ってたからとか、一人旅がしたかったとか、全部理由としては正しいけど、それだけじゃないんだよ。息が苦しかったんだよ。本当にお金がないと生きていけないのか試したかった。一人になりたかった。結果として過保護は変わらなかったけど。でも色々いい経験になったなぁ。

 

そんなこんなで完全に消耗し、燃えカスみたいだったのですが、月末の好きなバンド2daysが最高過ぎてめちゃくちゃ生きてます。あんなに頭振ったのいつぶりだろう。気づいたら両手の拳を振り上げてた。もう絶対売れるよ。Koochewsen。

ちょっと寂しいような気はするけど、確信してしまった。今もまだ震えが止まらない。生きていく活力を沢山くれる。本当に魔法みたいだね。優しい音楽の力。このことについては、いずれどこかで書こうと思う。それでは。

名前のこととか

そういえば暫く更新もしていませんでしたね。

 

改めまして、駒澤 零(こまさわ れん)です。フェスボルタランドの出演も終わったので、名前を完全に苗字付きに変更させていただきました。創作活動を始めた中学二年生の頃、「何もないからっぽの私は、きっと空虚な存在だ」と思って自虐的に名乗り始めた”零-0”という名前ですが、思えばもう8年。長い付き合いですね。”れんれん”という読み方はPEACH-PIT先生の漫画『DearS』から拝借したものです。人と被らなくてお気に入り。

苗字については時折聞かれるのですが、特に意味はないです。高校の頃、親友と「HNに苗字をつけるか否か」という話題で盛り上がった時にノリでつけたのが最初だったと思います。画数は多いけど語感が良くて好きです。

 

ということで、これからは基本的にこの名前で活動していこうかと思います。就職が決まるまではイベント出演のみできないのですが、その後は個展などできたらと画策しております。もし良ければ楽しみにしていてくださるとうれしいです。イラストやデザイン、執筆のお仕事は随時募集しておりますので、なにかございましたらお気軽にどうぞ。

 

そして、早速宣伝みたいになってしまい恐縮なのですが、2018年早々色々やらせていただきましたのでご報告をば。

まずイラストレーターとしての活動です。

「売れる前から、知ってたし」というバンド紹介アカウントがあるんですが、そこで作っている匿名コンピのジャケットとデザインを担当させていただきました。コンピのくせにアーティスト非公表とか本当ふざけてて面白そうだったので…。無駄に愛のある絵を描いたので見てくださいね。絵のテーマは「キャパ100のハコとかでやってた頃からずっと追っかけている好きなバンドの新譜を買いに来たらまさかのCDショップの一番目立つ場所に展開されてて有頂天」です。女の子の好きな音楽にはめちゃくちゃ細かい設定があるのですがそれはまたいずれ。

正直、無料頒布してる知らないバンドばっかのコンピ手に取るのと、完璧に中身が伏せられたの手に取るのってほぼ一緒だよね。ワクワク感を持ち帰っている感じというか。

コンピはタワレコ渋谷やディスクユニオン御茶ノ水店などで無料頒布中です。通販は以下から。タダなので軽率に手に入れてください。あんま言えないけど、個人的に好きなアーティストも参加してるよ!あと結構気合入れて絵描いたから紙媒体で見て!

urerumaekara.com

 

そしてまだ言えないのですが、他にもいくつか嬉しい報告ができそうなものがありますので、楽しみにしていてください!

 

次に執筆です。どちらも本名での掲載ですが、2本ほど記事を書かせていただきました。

ototoy.jp

僭越ながら、大好きなバンド・Koochewsenのレビュー記事を書きました。かれこれ知ってから1年半くらい経ちますが、こうして関わらせていただけるのが未だに嘘みたいな、本当に凄い人たちだと思ってます。いつか機会があればインタビューしてみたい。

 

もう一つはこちら。

showoff.jp

1/31日発行の高円寺のタウンマガジン『SHOW-OFF』にて、連載”高円寺のロン毛”のインタビュー&執筆を担当させていただきました。もともとゆら帝や曽我部さんが載っていた関係でたまに読んでいたフリーペーパーで、今コーナーも好きな連載の一つだったのですが、縁あってやらせていただきました。配布店舗、詳細などはこちらからどうぞ。

 

どれも、もし良ければ見ていただけると嬉しいです!普通に喜びます!

ではでは、これからも駒澤零をよろしくお願いいたします。

Prophecy

詩的な表現ばかり使いたくなるのは私の心が詩であふれているからだと思う。

 

先日の仕事で、それはそれは批判を食らいそうな原稿を寄せた。

でも中途半端にジャーナリズムを学んできてしまった私としては、この哲学的で少し社会的な音楽に添える言葉はまず間違いなくこんなテーマだろう、と思わざるを得なかった。だからこれは私の責任で、私が世に送り出すべき言葉だ。そう思った。

私の原稿は私という個人の独自性を重んじて書くべきだと思っている。だからこそ個人的な事実にも触れるし、体験と思想を織り交ぜて書く。嫌がる人もいるだろう。でもそういう原稿が欲しいならもっとその道のプロフェッショナルみたいな大先生に頼めばいいと思う。知識も経験も未熟な私にできるのは、私という現在(いま)を切り取ることだけだ。

死について扱ったのは多分親戚のお通夜の日に原稿を書いたことが大きいと思う。それと先日見た映画『禅と骨』。突然スクリーンに映し出されたヘンリの死は衝撃だった。それを描く監督の選択に少し驚いた。

お焼香のあとにちらと覗いた大叔父は安らかに眠っているように見えた。親類といえど、私は殆ど彼のことを知らない。まるで蝋人形のようだ、と不謹慎にも思った。肌の表面が妙になめらかで、魂が抜けたようだ。

祖母たちは皆怖がってお顔を見ようとしなかった。そんなものなんだろうか。妙に整然とした葬儀場の空気は、清潔すぎて死の匂いを感じさせない。守られてしまっていると思った。それがいいことか悪いことかはわからないけれど。

 

別に炎上しなくたって、人は結構他人の発言を読んでいる。発信するものは、それをしかと肝に銘じて生きねばならない。そこには覚悟が付きまとうんだ。

北千住からの帰り道、そんなことをずっと考えていた。