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駒澤零と記憶の記録

すきな音楽を紹介したり、日々の記録

無題

カッとなってtwitterを消した。

臆病者なので、アプリを削除しただけ。これくらいならよくやる。

でもInstagramも消した。LINEも消そうかと思ったが、ゼミとバイトの都合で消せない。畜生。

先週データがクラッシュして、トーク履歴何ヶ月ぶんか飛んだので、それで良いことにしよう。

 

SNSに嫌気がさしたのだ。

 

少し前から、本気で生きなきゃダメだなと思い、体裁を繕うのをやめた。繕うというか、自分の中のカッコよくなかったり、気持ち悪い部分を隠すことだけど。

それでも良いと思った。それで離れる人が居るならそれまでだと。正直に生きるべきだと思った。隠した分だけ、つらくなるのは自分なんだと。

 

でもふとした瞬間に、ぷつん、と糸が切れてしまったんだ。

嫌われるのが怖い。好きも嫌いも思考も、知ってほしいけど批判されるのが怖い。

零は純粋に零でしかない。

でもそんなわたしが嫌いな人もいる。

 

わたしはかつて、皆に好かれようとして、完全無欠な良い人を演じていたことがあった。

利用されても構わなかった。それでも良かった。わたしが生きる意味があるなら。

 

ある時馬鹿らしくなって、自分が好きな人だけにしか優しくしないことにした。好きな人…つまり、わたしが信頼を置いている人。

信じるのは勝手だし、好意的に接するのも勝手だ。だから良いんだ。良いんだけど。

それでも裏切られることはあった。

その度に酷く落ち込んだ。記憶をリセットした。だからわたしも、沢山傷つけたと思う。

 

そしてまた、一人になった。

 

今回は家族すら、切り離してしまった。

でもわたしの敬愛する寺山修司だって「こころの家出」を勧めてるし、いつかは一人っ子故のこの歪んだ共依存を断ち切らねばならないのですが、20年という時で蔓延った依存の根はそう簡単に引き剥がせないし、代わりに信仰できるような神様もわたしにはいなかった。

正確には、信仰するたびに違うと感じる。

まぁ、宗教を感じるほどの切実な苦しみが私に無いからだと言われればそれまでなんだが。

 

確かに私はここのところ、そう簡単に泣けなくなった。

毎日泣いてた日々は過去のものだし、歌を歌うと時々ほろっとくるけど、でもそう簡単に泣かない。仕事がつらくても人間関係がつらくても人が怖くても泣かない。

 

強くなったけど、心も消えたようだ。

羞恥心も薄くなったし、未来に希望も抱かなくなった。

それが良いことなのか悪いことなのかは知らない。だってまだ人生1回目だし。

 

なんか話が脱線したな。とりあえず、SNSやめます。しばらく。

臆病だからフォロワー減るの怖いけど、それでも追いたいと思えるくらいの絵を描きます。わたしの美学で。論理で。

 

だってわたしの好きな人、なりたい人はいっぱいいるけど(中には育った環境が似た人もいるけど)、わたしはあなたじゃないし、あなたはわたしじゃない。

ここには恋も薬もロックンロールもない。

孤独なわたしの牢獄だ。

 

だから歌おう。絵を描こう。

わたしがわたしであるために。