駒澤零と記憶の記録

すきな音楽を紹介したり、日々の記録

探し物は何ですか

――まだまだ探す気ですか、それより僕と踊りませんか?

 

思考が停止すると、何もかもが億劫だ。

家に一人でいたい気分になる。でも予定はあるんだよね。

 

「あんまりに空が美しいから、今日は死にたくなっちゃうね」

ある時結構信頼してる友人にそう言ったらすごい怪訝な顔された。

私は本気だったんだけど。空がきれいだと飛び降りたくなる。

 

でも、そこで死なないのは引き止める何かがあるからだ。

例えば「生き残ったらこの服汚れてしまう…高かったのに…」とか

「あの人の唄をまだ聴いていないから死ねないよ」とか。

そこを踏み越える機会なんて幾らでもあったのに。

踏み越えずに来たのはまだ夢を信じていたかったからだろう。

 

向こう側の景色はまだ見えなくて、近づこうとして何度も傷ついて、

悟ったのは「来てみたはいいが、ここじゃないな」という事実だった。

結局何をするにもお金が必要で、私はまだちっぽけで無力で。

でも逆に言うとお金があって諦めさえしなければ結構何とかなる。気がする。

 

…私にとって音楽は甘い夢だ。

かなしいものを美しくするフィルター。世界を綺麗に見せるエフェクト。

それがなくてもきっと生きられるけど、それがないと心が枯れていくもの。

結局なんだかんだわたしは唯美主義だから、美しさがほしい。

それは見かけの話じゃなくて、魂の輝きとか、芸術に発現する”きらめき”とか、そういうものです。全然好みじゃない音楽に宿る色が美しいと感じる時もあるし、ゴミ溜めに落ちてた金属が妙に魅力的に思えた時もあった。目に見えるものや通念がすべてじゃない。一歩後ろから世界を見ないときらめきを見失ってしまうんだ。

 

ということで、今度こそ現実のおはなし。

わたしはしばらく発信することをお休みしようと思います。

勿論ライターの仕事はできる限り続けますし、メールやDMにはお返事しますけど。

ライヴもツイッターも当分おやすみかな。

まあツイ廃歴7年近くだからどこまで断てるかわかんないけど頑張る。

9月までは展示とか審査員の仕事とかあるから呟かなきゃだし、ね。

 

「好きなバンドがわたしのすべてだから、それ以外はいらない」

そんな私がそれすら擲つくらいに今は大事な時期なのです。

何かを好きでいるとき、常に愛を叫び続けなければ「好き」と名乗ってはいけない、なんてことはきっとなくて、それは資本主義の中で生まれてしまった歪んだ思考なのだ。

いいものにお金を落とすのは大事だけど、思考を停止したマリオネットになるのは絶対違う。あの人に出会ってそういうことを知れた。だから最前線にいなくても好きって言える。好きでいられる。愛ってそういうことじゃないの。わかんないけど。現実を沢山削ってめちゃくちゃ無理をして毎日愛を叫ばないとそれはファンじゃないってのはもう破綻してるよ。SNSに踊らされすぎ。たまにはチルな心で居ましょうよ。まあ強迫観念で絵上手くなったからあんまり文句も言えないけど。

…とかく頑張ります。強くなって帰ってくるよ。

 

全て終わったら、何か作ろうと思います。

できれば映画が撮りたい。撮ったことないけど。脚本を書こうか。

ああ、また演劇がやりたいなあ。今更なんだけど遅くはない筈だから