駒澤零と記憶の記録

すきな音楽を紹介したり、日々の記録

恋で地球は救えないけど

‪しばらくぶりに電影と少年CQを見てきた。‬
‪いつぶりだろう。SNSは頻繁にチェックしていた。‬


‪以前よりキレが増したダンスに、淡々と紡がれる歌。‬
‪ただじっと見惚れていた。まだ完璧な存在だとは思わないけど、でもやっぱり心惹かれる。それはアイドル=偶像が纏う未完成な魅力ではなくて、(こういう定義に関しては香月孝史の本が詳しいが)二人の存在そのものが凄く特別で、心の奥の何かを掻き立てるからだと思う。‬

 

ステージの上の2人には、いつも触れたくない。‬
‪美しい指先に触れるほどの距離になったら、私の心は溶けかけたアイスクリームみたいに、一気に冷え切ってしまう気がして、怖いのだ。‬
‪だってそれは凄く崇高で、美しいものだから。‬
‪今日の会場は舞台との距離がすごく近かった。だからこそ、私は座って観たかった。まるで映画のように一定の距離を保って、視線が絶対に交わらないように観たい。そうして眺めたステージは、初めての時と同じくらい興奮した。距離はあるのに、心だけがすうっと吸い寄せられるようだった。‬
‪アイドルとかライブビジネスって近接性が魅力なのかもしれないけど、電少のステージに観客が介在するのはナンセンスだと思う。観客はあくまでも枠の外。我々は綺麗に彩られた箱の外から、小さな芝居を見ているに過ぎないのだ。‬
‪これは映画だ、箱の中の人形劇。当然二人は実在すると知ってたけど、なんか、ステージの上では全部が全部フィクションだったなと思ってしまった。‬

ユッキュンは時々、凄く精巧に作られた人形のような表情を見せる。そんなことに今更気がついた。空を仰ぎ見るような横顔のライン、綺麗に切り揃えられたマッシュカット。大好きなBluefairyのドールを思い出した。変な言い方だけど、普通に話すと彼は不思議だけどいいお兄さんって感じで、良い意味で人間くさい。でも電少の時にふと見せる一瞬に目が醒めるような小さい興奮を覚えた。わたしがたぶん、人間離れした魅力に心惹かれるタイプだからかもしれないけど。‬

ルアンちゃんーー私が知る限りこの世で一番きれいな女の子ーーは、何故かいつも違った風に見える。今日も全然違う風に見えた。どれをみてもルアンちゃんだけど、まるで並行世界の同じ女の子みたい。‬

初めて見たときは、この世に舞い降りた天使なんじゃないかって思った。真っ白な衣装、くりんとした目、陶器みたいに白い肌に長めのボブカット。彼女がステージ中央の椅子に座って本を広げたとき、私は夢を見てるんじゃないかと思った。この世のものと思えないくらい可憐で、綺麗だったのだ。‬

それから私は何度か、電少のライブに足を運んだ。アイドル現場の空気にあまり慣れなくて、回数はそんなに多くなかったけど、季節が巡り観るたびに、ルアンちゃんは違う顔を見せてくれた。髪が伸びたことで少し大人びて見えたり、たまに見せる笑顔が愛らしかったり。女の子にこんなに心惹かれるのは初めてだった。憧れとも、羨望とも、親愛とも、恋とも違う感情。なんだろう、やっぱり好きって言葉でいいのかな。

 

昨日は歌が多かったから、もっと所謂アイドル的なステージになってもおかしくないのに、やっぱりそうはならなかった。名付けるなら“ショウ”。それは笑顔も接触も不要だからだと思う。性的魅力とは違う、ある種潔癖な美しさがエッセンスとして織り込まれてる存在。非現実にどっぷり浸かって、私は堪らなく幸せを感じた。‬

そういえば、ルアンちゃんが昔いたユニットの話を横にいたファンの方から聞いた。検索して出てきた幾つかの写真に、小さく笑みが零れた。私の中で電影と少年CQは磨きかけの宝石みたいな存在で、長田さんが奇跡みたいな確率で、きらきら光る原石をそっと見つけ出してきたんだと勝手に思っていた。特にルアンちゃんは本当にどこをどう探したらこんな理想を押し固めたような素敵な女の子が居るのだ、と。だから、それは少し驚いたんだけど。

 

今度観に行った時はさらに違う景色が見えるだろうか。楽しみ。